5度目も届かなかった悲運・・・

言葉には出せなくとも胸中は「なぜ?」「どうして?」の悔しい気持ちでいっぱいだったことでしょう。

ソチ冬季五輪の第2日(現地時間2月8日)に行われたフリースタイル・スキー「女子モーグル」決勝(日本時間2月9日未明)での上村愛子(34=北野建設)です。

決勝2回目で6位。悲願のメダルを狙った同3回目は、試合を中継するテレビ観戦からも完璧(ぺき)に見え、何よりもシロウト目に分かりやすいタイムで30・46秒とトップに立ち、これは! と期待を抱かせました。

・・・が、ホント、採点競技はどうなるか分からず、ジャッジの評価にすべてを託す選手にしてみれば精神的に過酷です。結果は4位。“あと一歩”を言い聞かせ、ネバーギブアップの気概で精進し続けた5度目の五輪でも、またメダルに届かず! となってしまいました。

7位、6位、5位、4位、そしてまた4位-。上村の悲運に接して、ふと思い出したのが、プロボクシングの元WBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃(帝拳=引退)でした。

西岡は王者時代、7度の防衛を果たしており、その中にはメキシコや本場ラスベガスでの海外防衛もあり、その戦績が、あのノニト・ドネア(フィリピン)への道を切り開きました。

しかし、そこに至る以前、バンタム級時代は、当時の王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に4度挑戦、戦績は4戦2引き分け2判定負けと、どうしても“あと一歩”が届かず、どん底に叩き落されています。

感動的だった上村のスポーツマインド

5度目の挑戦となった08年9月のナパーボン・キャットティサックチョークチャイ(タイ)とのWBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦に判定勝ちし、悲願の王座を獲得(後に正規王座へ昇格)したとき、ジムの先輩であり元世界王者の浜田剛史氏(帝拳プロモーション代表)は、こう言ったものでした。

〈本当にやっと、やるべきことが出来ました〉と-。

西岡が00月6月の初挑戦から約4年間、計4度の挑戦にことごとく勝利をつかめなかった原因は、勝負どころで前に出てきた相手をテクニックでさばこうとしたところにありました。その結果、逆につけ込まれて窮地に追い込まれる、ということの繰り返しだったのです。

世界戦12ラウンド中、勝負どころはたいてい、ともに疲れが出る中盤戦、6~8回ころにやってきます。そこで前に出られるか、出てきた相手を押し返せるか、が勝負の分かれ目となりますが、実際、言うは易し、で頭の中で分かっていても、なかなか体が動かないのが実情です。

が、西岡が“今度こそは!”と歯を食いしばったとき、あれほど届かなかったベルトが、向こうからやってきたのですから、不思議といえば不思議です。

上村が“攻めていなかった”わけではないでしょう。テレビの解説を務めていた専門家は、よく攻めている、と評価し、試合後の上村自身も「全力で攻めて私らしい滑りが出来たと思います」とコメントしていました。

やはり・・・努力は報われないと、と思います。

西岡は“遅咲き”の苦労人だったかもしれませんが、めげずに努力したご褒美として王座奪取後の活躍を神サマがプレゼントしてくれて報われました。

涙をこらえて「ゴールしたとき、こんなに清々しい気持ちになったのは初めてです。何か・・・メダルはないのですけと、それは申し訳ないのですけど、いい思い出になったと思います」と言った上村の、健気(けなげ)なスポーツマインドにはちょっと、こちらが涙ぐんでしまいました。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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