「弔い合戦」などと軽々しく言えない

肉親の死は、本当につらいものです。

周囲が「弔い合戦だ!」などと士気を鼓舞しても、当人の胸中を思うと言葉もありません。

父親の思いもかけない急逝。深い悲しみの中、それでも“お父さんのために・・・”と試合出場を決めたレスリング女子の吉田沙保里(31=ALSOK)です。

新聞報道によると3月11日午前、高速道路の路肩に停車している車内でグッタリしている吉田の父親・栄勝さんが発見され、病院に搬送されたものの、すでに心肺停止状態で帰らぬ人となった、とありました。死因は「くも膜下出血」。享年61の早すぎる死でした。

高速道路、くも膜下出血・・・状況を知って私は瞬間、大学時代の友人を思い出しました。

命は失わなかったものの、彼もまた、高速道路を運転中に脳梗塞に見舞われ、あわや! の事態となった経験の持ち主です。

リハビリを経て復活した彼の話によると、高速道路を運転中に体調に異変を感じて路肩に緊急停車しましたが、出口が近かったのでそこへ向かったのだそうです。

徐行し料金を支払うために財布を取り出したとき、力が入らず、それが手から落ちて、アッ、と思った後は“それきり”だったそうです。

不幸中の幸いは、出口が近かったこと、でしたが、それを思うと、運転中に見舞われた栄勝さんのアクシデント、路肩に停車してから意識を失ったと見られていますが、発見されるまでの時間はどうだったのだろう、と惜しまれてなりません。

父親の急死・・・立ち向かう因縁の女子W杯

公式戦119連勝の快進撃を続けていた吉田が、まさかの敗北を喫したのは2008年1月、中国・太源で開催された国別対抗戦「女子W杯」で、でした。

1次リーグ第2試合のマルシー・バンデュセン(米国)戦。吉田は格下相手に攻めまくりながら、バンデュセンのタックル返しに微妙なポイントを奪われて敗れ、120連勝を阻止されました。

大会を終えて帰国した成田空港でも泣き崩れる吉田の姿に衝撃度の大きさがうかがえたものでしたが、その理由の一つに、タックル返しで敗れたこと、があったと思います。

父親の栄勝さんは元全日本覇者。自宅でレスリング道場を開き、3歳でレスリングを始めた愛娘の吉田にまず“伝家の宝刀”としての高速タックルを伝授しています。

吉田にしてみれば、世界の頂点にのし上げた得意技のタックルは、イコール“お父さん”と、切り離しては語れないものがあったことと思います。

巡り会わせというのは不思議なものです。

悔しい敗戦から立ち直った吉田が最初にしたことは、タックルの改造でした。日々進化。強者は常に打倒の標的となり、研究し尽くされ、ルールもまた、それに追い討ちをかけます。

同年(08年)の北京五輪で優勝。連勝を再開させますが・・・次の敗戦がまた、2012年5月の女子W杯でした。そして同年(12年)のロンドン五輪で優勝を飾り、04年のアテネ五輪から五輪3連覇の偉業を成し遂げました。

振り返れば、女子W杯での敗戦が、ことごとく節目となり、そのたびに立ち上がる吉田は、そのたびに幅を広げ、進化していることが感じられます。

最愛の父親を失い、失意のどん底から気力で立ち向かう試合はまた、女子W杯(3月15日開幕=東京・小豆沢体育館)なのです。

吉田にとっては、慣れ親しんだ「55キロ級」ではなく、2016年リオデジャネイロ五輪での4連覇をにらんだ新階級「53キロ級」での試運転です。

これもまた、節目の試合。今は亡き“レスリングの鬼”だった父親・栄勝さんが愛娘に与えた、厳しくも愛情あふれる「愛のムチ」にも受け取れました。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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