相変わらずの熱さだった邪道魂

バリッ! バリバリバリッ! バババッバババッ!

耳をつんざく轟(ごう)音。激しい爆破音。リングサイドの観客は思わず、耳をふさぎ、腰を上げていました。

不気味な白煙に包まれたリングの中にやがて、流血の邪道がノッソリと立ち上がります。ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチの壮絶な戦い。「大仁田劇場」は、以前と変わらず健在でした。

5月4日の日曜日、神奈川県茅ケ崎市の「青果地方卸売市場」で開催された大仁田厚プロレスの「湘南茅ヶ崎大花火」です。

「こんなのがあるけど行ってみないか」茅ケ崎在住の友人から連絡があり、初夏の心地いい風が吹き抜けるGW真っただ中の試合当日、会場に足を運びました。

2001年7月、大仁田が参議院の議員となって以降、これといって会う機会がなく、久々に話をしたいなァ、と思ったこともありました。とともに56歳の今になって、何もまたプロレス界に戻ってこなくても・・・という気持ちもありました。

参院選への出馬を決める前、自らが設立したプロレス団体「FMW」を離脱した大仁田は、フリーの立場で蝶野正洋や佐々木健介ら新日本勢と東京ドームの舞台で電流爆破マッチの戦いを挑んでいました。

“邪道魂”は、既成の体制に挑み、打破を目指す“男気の戦い”です。つまり、メジャー団体、イコール既成の体制への殴り込み・・・。

そうした合い間に大仁田は、1999年4月、41歳という年齢を超えて駿台学園高校(東京・北区)の定時制(第3学年編入)入学を果たしています。

低迷するプロレス界に喝!も

この“電流爆破高校生”は、何かとさまざまな話題を振りまき、密着する形で大仁田取材を続けていた私に休む暇などを与えないほど、活発に精力的に活動していました。

電流爆破マッチの大仁田にとっての集大成は、2000年7月30日の新日本横浜アリーナ大会で行った長州力とのノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチだった、と私は思っています。

「インディーはブロレスにあらず」との長州の発言で開始された邪道とのポリシー戦争は、4年を経てやっと、ここにたどりつきました。

が、試合は、情け容赦のない長州の決着戦に邪道は、計5度の爆破で虫の息となり、ストロング=体制への反発は、果たせないまま敗北となりました。

大仁田のリングを取り囲む面々は、ほとんどが力を持たない弱者たちです。そのど真ん中に立つ大仁田は、体制打破を叫び、ファイアーを叫び、勇気をもらった彼らは、全員が大仁田厚になって帰路につくのです。 

それは茅ケ崎のリングでも健在でした。

1800人の観衆(超満員札止め=主催者発表)に見守られて始まった、メーンイベントの火薬量3倍! ノーロープ有刺鉄線・電流爆破&電流爆破バット・デスマッチでは、矢口壹琅&保坂秀樹と組んだ大仁田が、高山善廣&藤原喜明&NOSAWA論外組と激突。激しい爆発音の中、流血の大仁田が、最後はNOSAWA論外にサンダーファイアー・パワーボムを決め、14分の勝負を終えました。

ファンが連呼します。「オーッニタ!」「オーッニタ!」それに応えて大仁田のマイク・パフォーーマンスは、青春真っただ中です。

オイオイオイオイオイ! オイ! オレたちに今、今、今、何ができるんだ! オレたちの青春は、青春は、プロレスの青春だ~!

相変わらず熱いですね。邪道魂ですね。涙のカリスマですね。

リングを降りた邪道は、大仁田に戻り〈あと4年、邪道の還暦電流爆破デスマッチを目指して頑張る〉と言い切っていました。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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