今井浜の痛~い思い出

8月最終週の3日間、東伊豆の今井浜で遅い“夏休み”を過ごしてきました。

静岡・賀茂群河津町の“河津温泉郷”に含まれる今井浜海岸は、下田の手前、下田から伊豆急行線で15分のところに位置し、夏場は混雑を極めるポピュラーな白浜海岸と比較して、まだ「白砂青松」という、昔ながらの表現が似合う静かな海辺を保っています。

毎年夏は今井浜、と決めて今年で4年目となりました。車で行けば熱海を経て、伊東から東海岸の明るい海辺を楽しみながらの快適なドライブ、電車でも今は「スーパービュー踊り子」などが運行されており、便利になったものだなァ、とつくづく思います。

というのも、私にはこの今井浜、実は思い出があり、何十年かを経て夏は今井浜、と決めたのもそれが理由だったのです。

古い話になりますが、出来ごとは遠~くさかのぼり、昭和39年(1964年)に戻ります。同年の日本は、秋に東京オリンピックが初開催されたり、それとときを同じくして東京~新大阪を結ぶ東海道新幹線が開業されたり、人々の口からは「戦後の終わり」という言葉が盛んに聞かれていた時代でした。

その年、大学に入った私は、自分への“祝・入学”として、社会の急速な進歩とは逆の何かがしたくて友人と2人で、じゃ、伊豆半島を一周、歩こうぜ! と思いつきの企画、実行に移しました。

金をかけない無銭旅行、ただひたすら歩くこと、がこの徒歩旅行の基本的な約束ごとでした。キャラバンシューズを履き、今は軽量で機能的なデイパックやバックパックが出回っていますが、当時はまだなく、登山用のゴツいキャンパス地のザックに寝袋をくくりつけ、何を考えたか、足にマメが出来たとき用にとゲタも一緒にくくりつけ、では、スタート! 荷は重くても、懐はまったく軽い、という気ままな旅が始まりました。

雨の中での野宿

今井浜

出発点は伊東です。そこから東海岸の道をテクテクと歩き始めました。大川、北川、熱川、稲取・・・さらには下田を経て西海岸へ、と旅は延々なのですが、歩き始めて第1日にしてもう、足の裏にマメができ始めました。今井浜の思い出というのは、第2日の夜、この海岸にたどりついて2人とも、もう完全に歩けなくなってしまったことなのでした。

だいたい最初に来る“ヤマ”というのは、耐え難くきついものと相場が決まっています。それを通り越してしまえば、別に苦痛もどうということがなくなってしまうものですが、私たちにとっての最初のヤマが今井浜だったのです。

足の裏のマメがズキズキと痛み、よせばいいのに脱げば再び履くのがきつくなるのを承知でシューズを脱いでしまったものですから、一気に足がふくれあがり、大きなマメの中で移動する水が痛くて、これでは歩けないと針で穴をあけ、押し出してしまいます。持参の薬品類など少なく、化膿止めは赤チンをかけるだけ。弱り目に祟(たた)り目とは、このことで不運にも暗い空から雨が落ちてきてシュラフ(寝袋)にビニールを巻きつけて海岸での野宿と相成った次第でした。

これが若き日の今井浜での思い出です。

で、その後の旅はどうなったか、ですか? もちろん完遂です。西伊豆に入った後半は快調! 絶好調! 足裏のマメも固まってルンルンと飛ばし、駅の待合室で、お寺の軒先で、公民館の会議室で・・・当地の人々の人情あふれる一宿のご好意に力を得ながらゴールの戸田村・大瀬崎(左の肩)まで一週間で完徒でした。

そんなことをやってからもう、40数年が経っているのです。毎年夏、今井浜の静かな浜辺を散歩するたびに足の裏が心なしか傷みます。そういえば以前のある日、一緒に歩いた友人が言ってきましたっけ。

「おい、アレ。青春の原点回帰。もう一回、やってみようか」

いやはや、高齢者は元気です。私? とんでもない! もうそんな元気はとてもありません。

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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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