“サッカー王国”がそれを否定する深刻さ

サッカーファンの友人が聞いてきました。

「ちょっとヤバいんじゃないの。開催できるんだろうか?」と-。

確かに不穏な情勢です。サッカーのワールドカップ(W杯)が6月12日に開幕するブラジルで5月15日(日本時間同16日)、W杯開催に反対する大規模なデモが、試合開催地の12都市を含む全国約50都市で行われた、と報じられました。

新聞報道によると、2016年にリオデジャネイロ五輪を控えるブラジルは、急速な経済成長が進む一方、そうした情勢につきものの格差、貧富の差が顕著となり、W杯に向けたスタジアムを建設する費用があるなら、労働環境の改善に使え! と国民の不満が爆発、暴動化している、とのことでした。

この5月12日に代表メンバー23人が決まった「グループC」の日本は、6月15日(日本時間同16日)にレシフェ(ペルナンブコ州)で初戦(対コートジボワール戦)を行うことが決まっていますが、今回のデモでは、その地で何と警察官までがストライキを実施した、とのことでした。

取り締まる側の警察官がデモ側に回っては、治安の不安は高まる一方でしょうし、鎮圧に努める軍隊もさぞ、複雑な心境でいることでしょう。

ドリームへの道を築いたサッカーなのに

ところで、サッカーW杯の歴史を振り返ってみると、記念すべき第1回大会は、1930年にウルグアイで開催されています。

隣国がブラジル、アルゼンチンの南米ウルグアイは、両国と並んでサッカーの3強国であり、W杯開催に至ったのもウルグアイの熱心なFIFA(国際サッカー連盟)への働きかけがあったから、と言われています。

この第1回ウルグアイ大会には、13カ国が参加、優勝は開催国のウルグアイが飾っていますが、なにせ南米ウルグアイへは、欧州諸国でさえ船旅で約2週間はかかった時代です。

ウルグアイもFIFAも、第1回大会の成功をただひたすら願うことが先決。もちろん今は過酷な地区予選などはなく、参加に向けて手を挙げれば即、本戦でした。

ちなみに日本は? といえば、1930年の世相は、関東大震災(1923年)から復興してやっと、楽しみが得られるようになったとき、と資料にはありました。

日本の当時、大日本蹴球協会は、1929年にFIFAに加盟していますが、FIFAが第1回大会への参加を日本に要請したかどうかは不明です。

ちょっと話が横道にそれましたが、このブラジル大会で第20回を迎えるW杯にあって、最多優勝はブラジルの計5回、イタリア4回、ドイツ3回がそれに続き、南米2強のウルグアイ、アルゼンチンが計2回で上位を占めています。

国民たちの夢を背負ったブラジル代表が、6度目という最多優勝回数の更新を目指すW杯を、国民たちは今、期待よりも冷ややかな目を向け、自分たちの生活のほうが大事! とアピールします。

欧州のサッカーとは違い、南米のサッカーは、貧しさの中で生まれ、ドリームへの道を築き上げてきた、とされています。・・・そうだったはずでした。

が、今、その象徴的なサッカーをブラジルが否定、国民たちの待遇改善を求める主張で開催反対を叩きつけたことに、私たちも複雑な思いを抱かざるを得ません。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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