続・優勝を左右するマネジメント力

ウ~ン・・・ちょっと言葉に詰まってしまいますが、難コース相手にいい感じの我慢を続けてきただけにやはり、残念! といった印象を持ちました。

熱戦を展開させているUSPGAツアーの今季メジャー第2戦「全米オープン」(全米ゴルフ協会主催=米ノースカロライナ州パインハースト、パインハースト・リゾート№2コース)第2日(6月13日)の松山英樹(22=LEXUS)です。

試合はゴルフ専門チャンネルのゴルフネットワーク、地上波ではテレビ朝日が、いずれも早朝まで生中継してくれていますが、睡魔に打ち勝つ原動力は、果たして“日本の怪物”は最後まで優勝戦線に残れるか? という注目度にあり、やはり松山の存在感はたいしたものだ、と思います。

現地時間午後(日本時間6月14日深夜)の遅い時間のスタートとなった第2日。松山は前半アウトで2バーディー(ボギーなし)を奪い、通算スコアを3アンダーに伸ばし、いい緊張感が感じられる中、安定感のあるプレーを続けていました。

前日の第1日(イン・スタート)は、前半インを1バーディー、1ボギーのイーブンで折り返しましたが、後半アウトに入り、1、2番で連続ボギーを叩きイヤなムード。が、5、6番の連続バーディーで盛り返し、8番でもバーディーを奪い、神経を使い果たすラウンドながら、首位に4打差(6位タイ)の好スタートを切って第2日を迎えていました。

好感触が続く前半でしたが、後半インに入り、ちょっとしたつまずきは13番(パー4)でした。

第2打でグリーンを外し、第3打をトップして寄せられずにボギー(通算2アンダー)を叩いてしまいます。

そんなイヤな流れが16番(パー4)で露骨に出てしまいます。第1打が右バンカーに入り、前方の土手が気になるところでしたが、距離を優先させたクラブを選択、そのため、土手に当たるミスを犯してしまったのです。4オン1パットのボギーで通算1アンダー・・・。

ネバー・ギブアップ! こそがすべて

さらに最終18番(パー4)でも第2打でグリーンを捉えられず、上がりホールでは避けたかったボギー(通算イーブン・パー)を叩いてしまいました。

さて・・・全米オープンと言えば、ゴルフ・ファンにとっては忘れられない出来事があります。そうです。「バルタスロルの死闘」ですね。

1980年6月に米ニュージャージー州スプリングフィールドのバルタスロルGCで開催された全米オープン。日本の青木功(当時37歳)が“帝王”ジャック・ニクラウス(米国)と繰り広げた4日間のマッチレースは、全米オープン史上に残る激闘となりました。

決勝ラウンドを迎えて青木は、予選ラウンドでウッドを使った距離もアイアンで攻めるなど、ゾーンに入りっ放しの優勝争いを繰り広げ、結果は2打差の2位となりました。

1987年にUSLPGAツアーの賞金女王に輝いた岡本綾子(当時36歳)が、メジャー・タイトルに最も近づいた、のは同年、1987年7月に米ニュージャージー州のプレインフィールドで開催された全米女子オープンだった、と言います。

ジョアン・カーナー(米国)とローラ・デービース(英国)に岡本を交えた3人プレーオフは、大会最終日の翌日に18ホール・ストロークプレーで行われ、デービースが優勝、岡本は2打差の2位となりました。

健闘は健闘、それはそれで賞賛されることです。が、あと一歩! に届かなかった“先人たち”の胸中には当然、悔しさが残ったことでしょう。

松山に残された決勝ラウンドの2日間。通算10アンダーで首位に立つマルティン・カイマー(ドイツ)は、独走態勢を築きつつあります。

が、松山、まずは第3日の“ムービング・サタデー”での追撃、そして・・・大勝負を最終日のバックナインに持ち込んでもらいたいと思います。

ネバー・ギブアップ! こそがすべてでしょう。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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