「黙祷の季節」に思うこと

ニッポンの夏-「8月」は、年月をどれだけ経ようとも、やはり“特別な月”という思いは薄らぎません。

1945年(昭20)8月6日広島に、同9日長崎に、それぞれ原爆投下・・・そして同15日、太平洋戦争の終結-。

資料をひもとくと同年8月4日、日本国民は総武装で竹やりの訓練を開始した、との悲痛な記述がありますが、それが「69年も前の昔のこと」であろうとなかろうと、私たちにとって(老若男女を問わず)8月という月が「黙祷(もくとう)の季節」であることを、意識の外にはずしてしまうことは出来ないのではないかと思います。

幼年のころ、グラフ誌で目にした、白いアスファルトに人の黒い影だけがくっきりと映っている1枚のモノクロ写真が、いまだに記憶の片隅に残されています。

その写真が物語る被爆の衝撃を本当に知るのは、もっと後になってからのことでしたが、思うことは、次第に薄らぎ、消えかけていく認識をこれから、知らない世代にどう伝え、継承させていくか、ということです。

そういえば7月下旬、セオドラ・バン・カーク氏の死去が報じられました。

平和の大切さをどう伝えるか

バン・カーク氏は、広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の搭乗員12人の中の1人です。新聞記事は、米ジョージア州の高齢者施設内で老衰のため死亡(享年93)と伝えていました。

これにより、広島を爆撃した「エノラ・ゲイ」の搭乗員、長崎を爆撃した「ボックスカー」の搭乗員は全員、死亡に至り、事実関係の継承は今後、資料として残されたものに頼らざるを得ない時代に入りました。

同様に8月9日、長崎市松山町の平和公園で営まれた「原爆犠牲者慰霊平和式典」にあって、主催者の長崎市は、同市内に住む被爆者の平均年齢が78・93歳になり、被爆者健康手帳の保有者が年々、減少しつつあることを明らかにしています。

ときの流れとともに、さまざまなところで「69年前」の出来事に関わった人たちが消えて行き、だからこそ、世代を超えた継承が、これまで以上に大きな課題となるだろう中、安倍晋三首相の「コピペ」スピーチは、非難されても仕方のないことと思います。

〈コピペ(コピー・アンド・ペースト)〉=画像や文章などの一部をコピーして他の所に貼り付ける(ペースト)操作。

安倍首相が、8月6日に広島市で開催された「平和記念式典」に続き、同9日に開催された長崎市の「平和祈念式典」でも、行ったスピーチの内容が、昨年のものとほぼ、同じだった、というものです。

一般的に、毎年行われているイベントに対し、年数とか人の名前だけを変えて記述してしまうということは、時折、見受けられる“怠慢”ですが、よりによってこの厳粛な式典でそれを行うということは、ちょっと常識を疑ってしまう行為ですね。

ときをどれだけ経ようと、繰り返し巡ってくる「8月」が、日本の平和祈願の原点であることに変わりはありません。

その場には年々、新たな気持ちで臨むことこそ、慰霊・鎮魂というものでしょう。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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