「処暑」に思い出す鉄人魂

今夏の「処暑(しょしょ)」は、その言葉が意味する通り、何やら秋を感じさせる涼風を体に感じました。

ちなみに「処暑」とは?

〈処暑〉二十四節気の一つ。暑さがやみ新涼が間近い季節。旧暦(太陰太陽暦)7月の中気で現在の新暦(太陽暦)の8月24日ごろにあたる。(広辞苑)

私は毎年、この時期を迎えると、あの日の出来事、処暑とは名ばかりの、黙っていても汗が噴き出した、あの暑すぎた日の出来事を思い出します。

そう・・・2000年(平12)8月24日夕刻の出来事・・・風がピタリとやんで蒸し風呂と化した東京・新宿区の「正道会館」にもたらされたのは、K-1戦士アンディ・フグさんの死、という信じられない悲報でした。

同年の格闘技界と言えば、総合格闘技では、DSEが仕掛ける「PRIDE」の舞台で桜庭和志(高田道場=当時)が“グレイシー・ハンター”として大ブレイク。立ち技打撃系のK-1も、極真戦士のフィリォをレ・バンナが“千年に一度の一撃”で倒し、年末のGP決勝戦ではホーストが3度目の王座に就くなど、振り返ってみれば、日本の格闘技界が最もにぎやかだったとき、だったかもしれません。

あの暑すぎた日の悲報

そうした中、あの暑すぎる処暑の午後、私たち各社の格闘技担当記者は、K-1から「正道会館に集まってほしい」という、発表事項など一切不明の1枚のプレスリリースを受け取りました。

何ごとか? と同会館に集まった記者たちは、その暑さに閉口しながらも、館内に張り詰めた異様な緊張感に“いつもとの違い”を感じ取ります。

少ない会話、沈黙、流れ落ちる汗・・・午後2時過ぎ、K-1事務局が発表した内容は、フグさんが「重篤な状態にある」という、耳を疑うことだったのです。

フグさんは8月上旬、一時帰国したスイスで高熱が出始め、全身倦怠などの異常を訴えました。その後、来日した8月19日、精密検査を受けた日本医科大学付属病院(東京・千駄木)で「急性前骨髄球性白血病」と診断されます。その日からわずか5日後に帰らぬ人となってしまったのです。

K-1という日本初の新しい格闘技を世界に広めるため、フグさんほど骨身を削った人はいなかったろう、と思います。1998年に敢行した初の米国大会(米ネバダ州ラスベガス)では、筋肉部分断裂の負傷をおしてリングに上がり、かかと落としの連発で観客を喜ばせるなど“マーケティングの拡大”に一役買っていました。

フグさんは、正道会館での練習後、近くの喫茶店に記者たちを集め、もっと日本を知りたいよ、武道や文化・・・などね、とよく話してもいました。享年35。まったく早すぎる死でした。

PRIDEが消え、K-1も資金難によって次第に興行が難しくなり、消滅を余儀なくされました。

・・・が、あの日あのとき、輝いたフグさんの勇姿は永遠であり、私を含めてファンの方々も毎年、処暑の言葉を聞くとともに思い出される出来事なのです。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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