「霊長類最強女子」の負けない強さ

主審の右手がマットを叩く準備をしています。

上からのしかかる中国の鍾雪純。その下でもがき、体をよじり、懸命のブリッジでしのいでいるのは“霊長類最強女子”の吉田沙保里(31=ALSOK)でした。

仁川(韓国)アジア大会第10日(9月28日)に行われたレスリング女子55キロ級の1回戦です。

エッ? オイオイ、逆だろ! とテレビの画面を見直してみても、あわやフォール負けの窮地に立たされているのは、まぎれもなく吉田でした。

第1ピリオド、いきなり0-4のビハインド。投げ技、終了間際の逆転で何とか立て直し、きわどい勝負(12-9)をものにしたのは、さすが最強戦士でした。その後は順調に勝利を収め、02年釜山(韓国)06年ドーハ(カタール)10年広州(中国)に続いてアジア大会4連覇を成し遂げました。

五輪3連覇、世界選手権12連覇と世界15連覇の偉業、それにアジア4連覇が加わった吉田に私が感じるものは〈折れない心〉と〈前進〉です。

思い出されます。連戦連勝を続けていた吉田が敗れたのは、08年1月に中国・太源で開催された国別対抗戦「女子W杯」でした。

1次リーグで無名のマルシー・バンデュセン(米国)と対戦した吉田は、攻めまくりながら相手のタックル返しに微妙なポイントを奪われて負けてしまいます。

「折れない心」と「前進」で・・・

01年の全日本選手権で山本聖子(日大=当時)に敗れて以降、6年間の負け知らず、連勝を「119」でストップさせられたショック。団体戦で気を緩ませたことを反省しても、レスリングを始めた3歳時から、元全日本覇者の父・栄勝さん(14年3月に死去)に教えられた“魂のタックル”を返されたことが、心の痛手として尾を引き、悔いを残しました。

ちなみに吉田にとって、この「女子W杯」の団体戦は、どうにも相性がよくないようで、12年5月の東京大会でも敗れています。

敗れた後の再起戦というものは、本当に厳しいものです。

08年1月の敗戦後、吉田は「負けた日の新聞と銅メダル(注=日本は3位)を壁にかけて、悔しい思いを忘れないようにした」と気持ちを切り替え、当初、出場する予定のなかった同年3月の「アジア選手権」に出場します。

この大会を取材したスポニチ本紙の担当記者は、吉田が極度の緊張による神経性胃炎や発熱に悩まされたことを報じ、帰国後の後日談では「1、2回戦の段階では、腰が引けてタックルに行ける距離が取れずにいた」と話してくれました。

一つの負けは、その後の再起戦にこれほどまでの影響を及ぼすわけですが、それを乗り越えたとき、あるいは、これまで見えなかったものが見えてきたり、また、無意識のうちに戦いの幅が出てきたりするものなのでしょう。

吉田にとって“伝家の宝刀”である高速タックルも、それを崩すための研究は、世界中のチャレンジャーからなされており、バンデュセンのタックル返しは、その表れの一つだったことでしょう。

つまり、世界のトップは、とどまっているわけにはいかず、常に前進が義務付けられます。鍾戦での苦闘も、鍾が吉田のタックルの距離を封じてきたことから起きています。

世界15連覇、アジア4連覇の出来事が、どれだけ難しいことかは、それだけで分かろうというものです。

そして吉田は、この勝利をまた通過点、過ぎ去ったこと、として、次の目標であるリオ五輪での五輪4連覇という偉業に向けて〈折れない心〉と〈前進〉で突っ走ることでしょう。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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