独善的男乃着物考其ノ拾伍
冬の足音が朝晩の冷え込みに感じられるようになりました。
が、本格的な冬到来の前のこの秋のひとときは、初夏の気候と並び、湿度の低さもあって、心地良い季節です。
旧暦の二十四節気による着物の四季では、神無月(かんなづき=10月)は、その昔「着物の正月」とも言われていたそうです。
盛夏(7~8月)の夏素材(薄物)から、9月の単衣(ひとえ)、そして10月からは袷(あわせ)に衣替えして翌年の5月まで。この本格的に着物を楽しむ8カ月間の始まりが10月であり、だから改まった気持ちにもなる、ということなのでしょうね。
和服に愛着を持つようになると季節に敏感になります。つまり、着物には“季節の先取り”が常にテーマとしてあり、例えば9月下旬から10月上旬の時期、まだ夏同様の暑さに見舞われていても、夏の装いが「×」であることは、常識として承知していなくてはならないことです。
が、このところ感じることは、以前のように10月まで“残暑厳しき”ということがなくなり、何やら、夏は8月には終わり、9月中旬には秋めいて赤トンボが飛び・・・と、四季のメリハリが、ほぼ暦通りになっているのでは? ということです。
従って私も、10月はもう終わりですが、この1カ月、行きつけの「飲み処(どころ)」には、暑さを気にせず、和服で出掛ける日が多くなりました。
・・・で、その「飲み処」での、ある日の出来ごと-。
カウンターを挟んで向こう側の、やはり和服好きの女将と「身八つ口(みやつくち)」の話題となりました。
「身八つ口」は何のためにあるか、女の着物にあって、なぜ男の着物にないのか、といったテーマです。
男と女の「身八つ口」談議
ちなみに「身八つ口」とは-。
〈女性や子供の着物に見られ、袖付けの下部分に続く見頃(みごろ)脇の開いているところ。一般的に13~15センチほど開いている。別名「八つ口」ともいい、衿、見頃の両脇、両袖脇、両袖口、裾、の計8カ所を総称したもの〉(「きもの用語の基本」参照)
-とありました。
和装には結構、うるさい女将も「あって当たり前とおもっているからねェ。そういえばなぜ、開いているのかねェ」などと首をかしげ、これは着たものしか分からない感覚だと思いますが「ここから手を入れれば、すぐ届いちゃう(何に?)からねェ。そのためじゃないの?」などと平然と言ってのけ、カウンターのこっち側の面々をドキッとさせたりもしました。
それはそれで、さすが着物! の楽しい答えではありますが、この「身八つ口」のように、女の着物にあって男の着物にはないものの代表的なものに「おはしょり(お端折)」があります。着丈より長い部分を腰のところでたくし上げ、調整した部分ですね。
この部分は、男の着物にはない、としましたが、実際は腰の部分に、内側に縫い込んだ「内揚げ」があり、必要に応じて出して伸ばしたりすることが出来ます。
女の着物の「身八つ口」は、どうやらこの「おはしょり」に関係がありそうです。つまり、これをきれいに畳んでつくり上げるには、脇から手を入れて操作するのが一番やりやすい、そのために開けてある、という説がありました。(「きものぷろぐ」の酒井さん、ありがとうございます!)
つまり、太い帯でしっかりと腹部を巻いてしまう女の着物にとって、脇を開けておくことは、各所を整えるということで必要なのでしょう。
では、男の着物になぜ「身八つ口」はないのか?
ある資料に実は、かつては「あったのだ」という説がありました。
男が和服を着るとき、私はいつも思うのですが、出来るだけ手に何かを持ちたくありません。手ぶらでいるためには、モノを帯に挟む、袂(たもと)や懐に入れる、ということになりますが、昔の人たちもそうしたようで、が、そのためには袂の片方を閉じておかなければならない、ということで、男の着物に「身八つ口」がなくなった、という説です。
またまた、カウンターの向こう側から、キツ~い、一言が発せられました。
〈フン、色気がないねェ。男の着物に「身八つ口」があっても、手に触れるのは“ポッチャリお腹”だけだものねェ。それじゃ、あっても意味がない〉
お言葉ですがねェ、女将さん! 男の着物は、硬派の心意気で体に巻き付けるもの、ですぜ。余計な隙間から腹など触れられたくないのです。そこのところ、ヨロシク!
(注=「独善的男乃着物考」シリーズは「日常」の項に収めています)
が、本格的な冬到来の前のこの秋のひとときは、初夏の気候と並び、湿度の低さもあって、心地良い季節です。
旧暦の二十四節気による着物の四季では、神無月(かんなづき=10月)は、その昔「着物の正月」とも言われていたそうです。
盛夏(7~8月)の夏素材(薄物)から、9月の単衣(ひとえ)、そして10月からは袷(あわせ)に衣替えして翌年の5月まで。この本格的に着物を楽しむ8カ月間の始まりが10月であり、だから改まった気持ちにもなる、ということなのでしょうね。
和服に愛着を持つようになると季節に敏感になります。つまり、着物には“季節の先取り”が常にテーマとしてあり、例えば9月下旬から10月上旬の時期、まだ夏同様の暑さに見舞われていても、夏の装いが「×」であることは、常識として承知していなくてはならないことです。
が、このところ感じることは、以前のように10月まで“残暑厳しき”ということがなくなり、何やら、夏は8月には終わり、9月中旬には秋めいて赤トンボが飛び・・・と、四季のメリハリが、ほぼ暦通りになっているのでは? ということです。
従って私も、10月はもう終わりですが、この1カ月、行きつけの「飲み処(どころ)」には、暑さを気にせず、和服で出掛ける日が多くなりました。
・・・で、その「飲み処」での、ある日の出来ごと-。
カウンターを挟んで向こう側の、やはり和服好きの女将と「身八つ口(みやつくち)」の話題となりました。
「身八つ口」は何のためにあるか、女の着物にあって、なぜ男の着物にないのか、といったテーマです。
男と女の「身八つ口」談議
ちなみに「身八つ口」とは-。
〈女性や子供の着物に見られ、袖付けの下部分に続く見頃(みごろ)脇の開いているところ。一般的に13~15センチほど開いている。別名「八つ口」ともいい、衿、見頃の両脇、両袖脇、両袖口、裾、の計8カ所を総称したもの〉(「きもの用語の基本」参照)
-とありました。
和装には結構、うるさい女将も「あって当たり前とおもっているからねェ。そういえばなぜ、開いているのかねェ」などと首をかしげ、これは着たものしか分からない感覚だと思いますが「ここから手を入れれば、すぐ届いちゃう(何に?)からねェ。そのためじゃないの?」などと平然と言ってのけ、カウンターのこっち側の面々をドキッとさせたりもしました。
それはそれで、さすが着物! の楽しい答えではありますが、この「身八つ口」のように、女の着物にあって男の着物にはないものの代表的なものに「おはしょり(お端折)」があります。着丈より長い部分を腰のところでたくし上げ、調整した部分ですね。
この部分は、男の着物にはない、としましたが、実際は腰の部分に、内側に縫い込んだ「内揚げ」があり、必要に応じて出して伸ばしたりすることが出来ます。
女の着物の「身八つ口」は、どうやらこの「おはしょり」に関係がありそうです。つまり、これをきれいに畳んでつくり上げるには、脇から手を入れて操作するのが一番やりやすい、そのために開けてある、という説がありました。(「きものぷろぐ」の酒井さん、ありがとうございます!)
つまり、太い帯でしっかりと腹部を巻いてしまう女の着物にとって、脇を開けておくことは、各所を整えるということで必要なのでしょう。
では、男の着物になぜ「身八つ口」はないのか?
ある資料に実は、かつては「あったのだ」という説がありました。
男が和服を着るとき、私はいつも思うのですが、出来るだけ手に何かを持ちたくありません。手ぶらでいるためには、モノを帯に挟む、袂(たもと)や懐に入れる、ということになりますが、昔の人たちもそうしたようで、が、そのためには袂の片方を閉じておかなければならない、ということで、男の着物に「身八つ口」がなくなった、という説です。
またまた、カウンターの向こう側から、キツ~い、一言が発せられました。
〈フン、色気がないねェ。男の着物に「身八つ口」があっても、手に触れるのは“ポッチャリお腹”だけだものねェ。それじゃ、あっても意味がない〉
お言葉ですがねェ、女将さん! 男の着物は、硬派の心意気で体に巻き付けるもの、ですぜ。余計な隙間から腹など触れられたくないのです。そこのところ、ヨロシク!
(注=「独善的男乃着物考」シリーズは「日常」の項に収めています)
スポンサーサイト