ああ、消え行くものへの郷愁・・・

歩いているときなど、ふっと気がつくと、右手の親指が右手中指の爪の左斜め下部分をシコシコとこすっていたりします。

この動作は、どうやら親指が、かつて中指にあった「ペンだこ」を、無意識のうちに探っているようなのですね。

「かつて中指に“あった”」としたのは、文字通り、過去には「硬く厚く」コブのように盛り上がったペンだこが“あった”なァ、という、懐かしさを込めてのものです。

日々、ペン(あるいは鉛筆)を持って、原稿用紙に文字を書くことを職業とする新聞記者の右手中指(もちろん左手の場合もありますが・・・)から、ペンだこが消え始めたのは、いつごろのことだったでしょうか。

私がスポニチ本紙に入社した1969年(昭44)当時は、もちろん紙全盛の時代です。記者生活を大相撲担当からスタートさせた私は、年3回、大阪、名古屋、九州の地方場所への出張時など、大量の原稿用紙をカバンに詰め込んで、まさに“重々しく”当地へ向かったものでした。

当然、その当時の先輩記者たちの右手中指には、ペンだこが隆々とあり、日々の原稿料の多さを誇っているかのようで、駆け出しの、まだ「記者」までいかない「トロッコ」の分際としては、それだけで尻込みしてしまったものでしたっけ・・・。

その一方、ペンをきつく握ってペンだこなどをつくって書いているようではシロウト! プロはこう書くのだ! とペンの先っちょ(上のほう)を軽く持って、サッサと早書きする、独特の書き方があることも教えられ、そんなペンの操り方には、度肝を抜かれたものでした。

ペンだこに込めた中指の思い出

まあ、しかし、とにかくそのころは、原稿用紙に向かって書いて書いて、書きまくる時代であり、本社への送稿手段も、書いた原稿を電話で速記者へ送る方法を取っていました。

従って、地方の不便な場所での取材のときなど、まず、早い時間帯に公衆電話を含む電話のある場所を把握しておくことが先決となり、送稿時には、締め切り時間に追われて殺気立つ、他社の記者との電話の奪い合いなどが、必ず起きていたものでした。

ファクシミリ(FAX)の登場は、1980年代に入ってからだったでしょうか。公衆電話の奪い合いから、今度はコンビニに設置されているFAXの奪い合いへと形を変えますが、まだこのころは原稿用紙の時代でペンだこは依然、健在で消えていません。

それが消え始めるのは、ワープロが登場して通信も可能になり、ペンを持つ手でキーボードを打つようになってからです。そして・・・現在の、写真を含む送稿手段においては革命的となったパソコンの登場-。

新聞記者が、すべてに迅速、便利なモバイル端末を持ち歩いて仕事をするようになり、と同時に誇らしげにあった、アナログの象徴ともいえるペンだこが、彼らの指から消えました。

ああ、消えゆくものへの郷愁-。

そういえば、記者活動に欠かせなかった電話機も、あの懐かしいダイヤル回線の、ジーコ、ジーコ・・・のパルス式は今、あるのでしょうか。あのダイヤルの戻り方が遅くてイライラし、指で強引に戻した動作が懐かしくもありますが・・・。

イベント会場に設置された記者たちの仕事場「プレスルーム」が全面禁煙化されてしまったのも、時代の要請からだったのでしょう。

喫煙場所はたいてい、外に設置されていて遠く、煙草を吸う記者たちは、原稿を書いている途中で席を外さざるを得ず、それが面倒で“もう喫煙の時代ではない”と煙草を辞めた仲間も結構いました。

不健康ではあるでょうが、紫煙がこもるプレスルームは、いかにも“記者のたまり場”らしく、しかし、それも昔の良き時代のこと、となってしまっています。

いずれ、私の右手中指も、親指が察知できないほどツルツルになってしまうことでしょう。

それが、良いいことか悪いことか、は分かりません。が、ベンだこの消滅とともに“あの頃”の数々の、アナログ的な出来ごとも消滅してしまうようで、それはそれで寂しいことではあります。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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