ときは流れて・・・

悲運の“天才ボクサー”辰吉丈一郎(44=元WBC世界バンタム級王者)に関して、最も記憶に残ることは、やはり「現役への鬼気迫る執念」だったでしょうか。

1999年8月29日、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に奪われたWBC世界バンタム級王座を取り返しに行って惨敗(7回TKO負け=タオル投入)した辰吉 は、翌日の30日、引退を発表しました。

〈体力の限界。勝っても辞めるつもりでいた。普通のオヤジになります〉

・・・が、それから約3年を経て前言を撤回、復帰の意向を表明しました。

当時32歳。試合は2002年12月15日-。

思い出します。その年の11月下旬、私は大阪帝拳ジム(大阪市都島区)に足を運びました。辰吉に真意を聞くためです。

切り出し方が難しく、話の糸口として最初に聞いた「体調は?」に「そんなんやめましょ。ありきたりのことを聞かれてもしゃべる気にならん」と口をとがらせた辰吉は、自ら、復帰についての核心を話し始めました。

〈(ボクシングへの)情熱とか愛情とか、そんなんとはちゃう。やりたいからやる。それだけのことや。ボクの考えでは、自分がやろうとしたことは、そうなって当たり前なんやから、試合が決まっても、ついにとかやっととかいうことは、他人は思っても、ボクには全然ないんやね。当たり前のことなんやから。・・・要するに、わがまま、なんです〉

“浪速のジョー”ジュニアの誕生!

約3年前の「引退表明」についても〈“します”と言わなければ、何を言われるか分からんかった。“します”と発言したが、ボクの中では“しません”だった〉と話しました。

私の古ぼけた取材ノートにビッシリとメモされた辰吉の、こうした発言の数々は、辰吉の居場所が、ボクシングという世界にしかないにしても、現役への執念については、鬼気迫るものが感じられたものでした。

それより以前-。

プロ4戦目で日本バンタム級王座獲得(最短タイ記録=当時)、プロ8戦目で世界同級王座獲得(国内最短記録=当時)と輝かしい道を歩みながら、左目の異常が発覚し「網膜裂孔」→「網膜剥離」の悲運・・・繰り返された引退危機を執念で乗り越え、周囲の反対を押し切って現役続行を主張。そして1994年12月、国内ボクシング史上に残る、あの伝説の王座統一戦、WBC世界バンタム級正規王者・薬師寺保栄(松田)vsWBC世界同級暫定王者・辰吉の死闘が展開されるに至っています。

辰吉は(自嘲気味に)こうも言いました。

〈ボクがプロなんちゅう言葉を使ったら失礼や。プロは勝ってお客さんを喜ばすもんやろ。ボクは負けてお客さんを失望させるだけや。ボクにとってボクシングは職業なんかやない。趣味やね〉

そして今・・・この男の次男・寿以輝(じゅいき=18)が、11月24日に行われたプロテストに合格しました。

寿以輝は、幼少のころから父親の背中を追ってプロボクサーを目指していたそうで昨年1月、オヤジの丈一郎が汗を流した大阪帝拳ジムに入門、このほどの合格により、プロとしてのスタート地点に立つことになりました。

“天才”と言われながら、左目疾患の“悲運”に見舞われ、それでも辰吉は、執念で3度の戴冠という奇跡を起こしました。

そうした精神は、果たして父子2代、受け継がれて行くのでしょうか。

“浪速のジョー”ジュニアに期待です。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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