レジェンドが魅せる熟練の技

日曜日(12月14日)の午後、テレビ朝日が中継したゴルフの「日立3ツアーズ選手権」(千葉県千葉市=平川CC)を観ていました。

国内男子(JGTO)、国内女子(LPGA)、シニア(PGA)の3ツアーから、それぞれ代表6選手が参加、ポイント制で争う団体戦ですが、勝敗(LPGAが優勝)は別にして思わず、さすが“レジェンド”とうならされたのが、72歳・青木功の技術、多彩な小技でした。

第2ステージの後半9ホールは、シングルス・ストロークプレーで行われ、青木はJGTO、LPGAの両ツアーを代表するバリバリの一線級選手、池田勇太、成田美寿々と回っていました。

そうした中、輝きを放っていたのが、池田&成田の“今流”にひけを取らない、この道50年(1964年プロ転向)のブレない“青木流”でした。

グリーンを外し、逆目のラフからピンを狙うアプローチの場面-。青木の手には7Iが握られています。前傾のあの構えから、ポンと打ち出されたボールは、コロコロと転がってピン横、約80センチにピタリ! 青木流のランニングです。 

池田だったら、成田だったら、この場面での攻めは、上げて止めるアプローチを選択したことと思います。

アプローチ用に50何度かのクラブを数本用意するクラブ・セッティングにあって、今流の選択肢の中には「転がし」が占めるウエートは、あるいはホンのわずか、程度かもしれません。

世代を超えて受け継がれたい

が、振り返れば、このレジェンドは、この流儀で1978年の「ワールドマッチプレー」に勝ち、1980年の「全米オープン」では“帝王”ジャック・ニクラウス(米国)と死闘を演じ(バルタスロールの死闘=2位)、そして1983年の「ハワイアン・オープン」で劇的な優勝を勝ち取ったのでした。

とはいえ、ちょっと似合わないかな? と思ってしまったのが、UT(ユーティリティ)クラブの使用でした。距離のあるパー3のホールなどで使用していましたが、青木にピタリとハマるのは、やはり、パーシモン・ヘッドのウッドクラブであり、アイアンにしても、ソールの厚い“今ふう”ではなく、あのシャープなものが、イメージとしては、お似合いです。

この大会には、PGAから青木と並ぶ中嶋常幸が出場していましたが、かつて、クラブが大きな変革を遂げていたころ、中嶋に変化への対応を聞いたことがありました。

上げて下ろせば、苦もなく300ヤード級の飛距離が得られる、飛ばせるクラブと飛ぶボールの時代到来。この願ってもない道具革命の中、パーシモン世代は戸惑います。

開いて閉じる、ひねる、返す・・・。パーシモンでは当たり前だった動作、技術が、慣性モーメントの大きいメタルでは邪魔になってしまいます。

中嶋といえば、日々、変わってしまうスイングのフィーリングを一定化させたいため、尋常ではない打ち込みによって、体のマシーン化を目指したこともある、こだわりの選手です。

このとき〈新しい道具は、ベテランの寿命を伸ばした、と思う。が、一方、ベテランの技術を消したね〉と話した中嶋の胸中には、パーシモンで培ったプロの技術を捨てなくてはならないという、ブライトとの激しい戦いがあったように思われました。

青木にしても、そうした転換期には苦悩があったことでしょう。

とはいえ、左ひざの痛みを手術で取り除き、休養を余儀なくされながらも、試合の場に復帰できたことを青木は喜び、中嶋が指摘した〈ベテランの寿命を伸ばした〉クラブで、池田、成田たちに真髄を見せつけていました。

シニアたちの多彩な技術、攻略への引き出しの多さ、などを若い選手たちが学び、自分のものとして身につけるなら、それはゴルフ界だけのことでなく、各ジャンルに若手選手が台頭している昨今、最も大事なことではないかと思います。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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