光る「箱根駅伝」の視聴率

昨年末から年始にかけてのテレビ番組の視聴率(ビデオリサーチ調べ)が一斉に発表され、1月6日付のスポーツ新聞各紙の芸能面をにぎわせました。

トップの座は昨年大みそかの「第65回NHK紅白歌合戦」(NHK総合=前半平均35・1%、後半平均42・2%)が勝ち取りましたが、発表された「分刻み視聴率」によると、大トリを務めた松田聖子の熱唱場面(午後11時37分)が、瞬間最高の47・5%(関東地区)を記録した、とありました。

テレビの視聴率において「関東地区の1%」は、約17万4000世帯にあたると言われています。

仮に47%として計算してみると約817万世帯。1世帯平均4人、あるいはこの時期、帰省して家族団らんのひと時を過ごしている家庭も多いことでしょうから、1世帯平均5人として実に約4000万人、全国にしたら・・・やはり、大みそかの「紅白・・・」は、民放各局がどう“打倒!”を目指そうと、残念ながら“国民的イベント”としての牙城は崩せそうにないのかもしれません。

一方、年が明けると昨今、スポーツ・ジャンルの“国民的イベント”としての地位を築きつつあるなァ、と思わせるのが、新春の風物詩「東京箱根間往復大学駅伝競争」(箱根駅伝=1月2~3日)の勢いです。

日本テレビが完全中継するこのイベント、第91回を迎えた今大会は、2日の往路が平均28・2%(関東地区)、3日の復路が同28・3%(同)、往・復路合わせて同28・3%(同)の数字を記録しました。

私の周辺でも、この駅伝ファンは多く、毎年、選手が走り抜ける沿道に出ての声援を欠かさない人たちや、また、最近は新春から開店している、大手スーパーに勤務している友人からも、この2日間、午前中はガラガラ、午後2時くらいから一気に人出が増える、などということも聞きました。

国民的行事にのし上がる勢いも!

「継続は力なり」-とは、よく言ったものです。

私がこの駅伝を初取材したのは、スポニチ本紙に入社(1969年=昭44)した後、新米記者時代の1970年(昭45)でした。

この時期は、1969年の第45回大会で初優勝した日体大の全盛期(1973年の第49回大会まで5連覇を達成)にあたっていましたが、他方、交通の渋滞化に伴い、今では考えられないことでしょうが、主催の関東学生陸上競技連盟は、開催中止の危機も抱える、難しい時期に直面してもいました。

1969年の日本といえば、ちょうど高度経済成長期の真っただ中にあり、道路事情は高速道路網の充実、東名高速道の全通などモータリゼーション化が進み、当然のことながら、東海道を2日間にわたって走るこの駅伝にも、交通規制が行き届かない状況が押し寄せ、特に中継点の設置に難しさが指摘されるなど、存続の危機に立たされていました。

現在のように日本テレビが全国ネットで2日間、完全中継するようになったのは、1987年(昭62)の第63回大会からですが、それ以前、初めてテレビ放送に着手したテレビ東京(当時=東京12ch)が1979年(昭54)からダイジェスト放送を開始しましたが、このイベントへの注目度を言えば、現在とは雲泥の差があったことは確かでした。

そうした継続の危機を乗り切って現在に至る「箱根駅伝」の面白さは、東京~箱根間往復という、いかにも新春の風物詩的なコース設定、そこを舞台として往復10区間、各区約20キロの長い距離を走ることによって起きる、若者たちの人間ドラマでしょう。

このイベントの知名度が上がるにつけ、2日間にわたりテレビに映し出される「大学名」や特別協賛の「サッポロビール」のPR効果の大きさが目立ち、一方、選手たちのただひたすら箱根駅伝に懸けた末の「燃え尽き症候群」などもクローズアップされています。

が、何はともあれ、大みそかから新年にかけてのテレビ・イベントとして「紅白・・・」と「箱根駅伝」は、ますます“国民的行事”の色を濃くしそうな勢いを感じます。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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