「黙祷(とう)の季節」に思うこと

広島の8・6原爆の日、長崎の8・9原爆の日・・・そして日本の8・15太平洋戦争終結-。

ときをどれだけ経ようとも、日本の8月が「黙祷の季節」「鎮魂の季節」であることは永遠でしょう。

8月9日の日曜日、午前11時2分。私が住む藤沢市(神奈川県)の片瀬海岸は、夏真っ盛りのにぎわいを見せていました。

江の島に向かって右側の西に広がる西浜海水浴場。そのはずれ、鵠沼海岸寄りのエリアが、いつの間にかバーベキュー族のメッカふうになってしまいました。

そこで夏のひとときを思い切り、仲間とともに楽しんでいる若者たちは、70年前(1945年=昭20)の同時刻、長崎市への原爆投下、それより前の8月4日、資料には、日本国民が総武装で竹やりの訓練を開始した、という記述があり、こうした悲痛なできごとを、果たしてどう受け止め、感じることでしょうか。

「もう70年前も昔のことでしょ」と一蹴してしまうことは簡単でしょう。

が、節目となる〈戦後70年〉を迎える今年、新聞・テレビなどさまざまなメディアが、さまざまな角度から改めて戦争をとらえ、今だから明かせる新事実などを含めて伝えているのは〈忘れ去られてしまうことの怖さ〉をも伝えなくてはならないから、でもあるのでしょう。

日本の8月~平和祈願の原点

小学校の低学年の頃だったと思います。グラフ誌で見た、白いアスファルトにクッキリと残された黒い人の影だけの写真を、これ何? と親に聞いたことを今でも思い出します。

終戦時、私は1歳になったばかりでした。この写真が、被爆によるものだ、と教えられて衝撃を受け、戦争というものを具体的に認識したのは、恐らくグラフ誌を見たこの頃からだったかもしれません。

8月6日の広島原爆の日、NHK総合テレビが「NHKスペシャル~きのこ雲の下で何が?」(午後7時30分~)と題した番組を放送していました。

原爆投下直後の広島をCGなどの最新技術で再現し解剖、また、人々が命からがら逃げ、たどり着いた御幸橋(広島市内)で撮影された写真をもとに、炸裂時の熱傷による人々の悲惨な状態、を伝えたものです。

大人も子供も無差別に焼き尽くした熱傷の悲惨さには、思わず目をそむけたくなるものがありました。

が、それが事実であれば伝えなくてはなりません。そして・・・伝える作業において欠かすことが出来ないのが〈体験者の証言〉です。

この番組でも、証言者たちが、なぜ自分が生き残ってしまったのか、という苦悩、もうあの悲惨な状況など思い出したくない、という苦悩、それでも自分が伝えなくてはならない、との義務感から、重い口を開きます。

戦後70年の長い年月を重ね、体験者の平均年齢も80歳を超えるなど高年齢化が言われています。

急がれる継承、いつか、伝えられる人がいなくなる日も・・・。

次第に薄まり、やがては消え去っていく、とは思いませんが、そうしてはいけない認識を誰が持ち、今後、どう若い世代に伝え、継承させていくのでしょうか。大きな課題です。

繰り返し巡ってくる日本の8月が、どう時代を経ようとも、平和祈願の原点であることに変わりはないのです。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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