病院食に思ったこと

長年の不摂生と自己管理能力の欠如・・・すべて自己責任でありますが・・・師走の何かと慌ただしい中、体に不都合が生じて入院・手術を余儀なくされてしまいました。

という理由でご無沙汰、申し訳ありませんでした。この欄、12月7日以来、6日ぶりの執筆です。

ダラダラと長引かず、短期間の入院生活で済んだことは幸いでしたが、この期間、テレビと新聞から離れ、外部情報は日ごろ、愛聴している84・7メガヘルツの「FMヨコハマ」だけ、後は読書と決め込み、まあ、この“休暇”は、神様がくれたクリスマス・プレゼントだろう、と勝手に開き直らせてもらいました。

・・・で、私の入院・手術は、2010年6月以来、5年ぶり2度目となります。

入院生活となると、決まって話題となるのが、ほとんどの患者が「嫌だねェ」と嘆く〈病院食〉でしょうか。が、私は、この余計な味付けを一切排除した、質素そのものといえる極薄味の病院食が、それほど嫌いではありません。

最初の入院暮らしのとき、私に出された食事は、お粥、味噌味が極薄の味噌汁、それに2品程度のおかずが添えられていました。

今回は、お粥ではなく普通のご飯が出されたものの、味噌汁やおかずは相変わらずの薄味で例えば、お新香には醤油なし、サラダにもドレッシングなし、といった徹底ぶりです。

キリがないヒトの欲望!

味噌汁など、ひと口飲んで味噌の味がほんの少し漂う程度なのですから、こんなの飲めるか! と残してしまうことは簡単です。

しかし、見方を変えれば、体を壊して病院に入ってくる人たちに出される食事なのですから、ヒトの健康などというものは、こうした食事で十分に維持できることが裏付けられた上での日々の献立となっているのでしょう。

従って、この食事に対して患者がすべきことは、ただひたすら〈完食〉することです。こんなまずいものが、とか、完食せずに残したりすることは、その人が「塀の外」で身につけた、絶品の味を求める〈欲望〉が、ふくれ上がり過ぎているからでしょう。

日本には古来〈武士は食わねど高楊枝〉という故事があります。

故事ことわざ辞典には「武士には気節(気骨があって節操の堅いこと=国語辞典)があり、貧しくて食事ができなくても、爪楊枝を使って食べたふりをすること」とありました。

つまり、たとえ自分が貧しくても気位は高く持つべきだ、ということです。

故事において〈気節と食事〉が抱き合わせとなるのは、同じ東洋であっても、中国などのように食事といえば、大人数でワイワイガヤガヤとにぎやかに食卓を囲んで、食べ散らかしを楽しむ習慣とは異なり、日本は古くから(今は違いますが)食事は大口を開けず、黙って密かに済ませ、満腹でも空腹でも、常に高楊枝状態でいることを美徳とする傾向があり、それに由来すると思います。

関連して今、テレビの夕方の情報番組に思うことは、食事の時間帯ということもあって各局とも、決まって〈行列のできる店〉など旨いもの情報を定番として流していることです。

〈武士は・・・〉で言わせてもらうなら、リポーターが大口を開けて食べ物をほおばり、恥も外聞もなく「おいヒ~です」などといっている図は、見られたものではなく、また、ラーメンを食べるために3時間待ちの行列に並ぶという図も、旨いものを食べたいという、本来は内に秘めておくべき欲が、ギラギラと外に出ているようで目をそむけたくなります

濃厚な味付けのラーメンに舌鼓を打とうと、ジューシーな分厚いステーキを堪能しようと、それは個人の勝手です。

・・・が、これだけ食べていれば体を維持できる、という原点にあるのが病院食なのではないでしょうか。

食事を終えて後片付けに来た看護士さんの「サトーさん、また完食なの? エラいね」の言葉を聞きながら、私はこんなことを考えていました。

壊れた体の復旧に必要なものは、最小限度のものでいいのだ〉と思う半面、塀の外での私たちは〈本当にムダで必要のないものを、バカみたいにありがたがっていたことか〉と・・・。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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