2度目の成功は? さまざまな問題点

私が住む藤沢市内(神奈川県)から片瀬海岸まで、歩いて約10分程度です。

海岸に出て東浜と西浜を分ける「弁天橋(通称=桟橋)」を渡れば「江の島」です。

海を遊び場として育った幼年時の私たち地元の子にとって江の島は、常にその風景の中に当たり前のようにあり、ふと振り向けば江の島があり、遊び疲れて砂地に倒れ込めば江の島が見える、といった感じで日常に溶け込んでいました。

今も時々、海岸沿いのウォーキングの帰り道、気が向けば桟橋を渡り、向かって左方向にあるヨットハーバーあたりまで足を延ばしていますが、長年、観光客を含む人々を不動の構えで見守ってきた江の島が、このところ動き始めています。

そうです。2020年東京五輪のセーリング競技会場に決まったからなのですね。

サーファーの友人から、こんな声を聞きました。

〈ネェ、どう思う? 開催は結構なことだけど夏だろ。実際問題、出来るのかね~〉

日ごろ、海に出て、片瀬海岸周辺の事情を熟知していればこそ、そんな「?」が先立つのでしょう。

確かに私でさえ、開催のための施設の問題、人を受け入れる宿泊など施設の問題、夏場の交通渋滞の問題・・・などが、簡単に頭の中に浮かんできて、こりゃ、大変だなァ、と思ってしまいます。

1964年(昭39)以来、2度目の開催となる東京五輪ですが、セーリング競技会場は当初、東京・江東区若洲が予定されていたそうです。

が、諸問題の発生により開催困難となり、愛知・蒲郡市、千葉・千葉市などが代替候補地として名乗りを上げ、招致合戦の末、最終的には昨年6月、江の島に決まるという経緯がありました。

夏場の混雑を解消する策は?

最初の1964年東京五輪のとき、ヨット競技(当時の競技名称)は江の島で開催されました。

そのときの状況がどうだったのか、私にはほとんど記憶がないのですが、資料によると、片瀬海岸東浜の浸食を防ぐため、江の島に護岸堤防が造られることになり、その整備と合わせてヨット競技も誘致された、とのことでした。

また、選手村は平塚市のお隣り、大磯町に建設された「大磯プリンスホテル」(神奈川県中郡大磯町)が当てられた、とのことですが、今は大磯から江の島まで、夏場の「134号線」は、渋滞の名所と化しており、当時はまだ、そういう時代ではなかったということでしょう。

56年のときを経ての誘致の問題点は、サーファーの友人が言ったように、開催は結構だけど、すべてに時代が変わったからねェ、というところにあると思います。

1964年8月に完成した江の島ヨットハーバーは、同年10月の東京五輪ヨット競技を行い、現在は、ヨットマンたちのメッカとして、一般のクルーザーやディンギーが多く係留されています。

が、その周辺を歩いてみて、ここに選手たちのフネを置き、報道用のプレスセンターなど競技用の施設を設置できるのか、などの狭さを感じます。

また、夏場の交通渋滞を考えれば、前回のように大磯に選手たちの宿舎を置くことは難しく、ではどこに設置するのかが、簡単には出てこない状況です。

他方、ここに来て大きな問題となっているのが、漁業の問題、夏場の海水浴場の営業と合わせて、地元にとって五輪開催はどうにもしっくりこないようです。

昨年12月、当地を視察した遠藤利明・五輪相が、招致に関わった黒岩祐治・神奈川県知事の説明を受け「素晴らしい景観。多くの人に来てもらい、セーリングが面白いと知ってもらえる大会にしたい」と感想を述べたことが報じられました。

しかし、問題はそれ以前・・・黒岩知事は、最大の問題点を夏場の交通渋滞に置きましたが、多くの人に来てもらえない状況、になってしまうことは、何としても避けなければならないですね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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