佐渡ケ嶽部屋の伝統もまた光った!

日ごろ、時間帯の関係もあり、大相撲の中継はほとんど観(み)る機会がないのですが、今場所(初場所=東京・両国国技館)は、大関・琴奨菊(31=佐渡ケ嶽部屋)に〈10年ぶりの日本出身力士優勝〉が懸かったことで、これは観ておかなければ、と1月24日の千秋楽、テレビの前に陣取りました。

テレビの画面を通しても伝わってくる、シビれるような緊張感。その中で凄かったですね~。琴奨菊の一気呵成(かせい)のがぶり寄りからの突き落とし! 相手の大関・豪栄道は、完全に気合負けの一番でした。

この歴史的快挙を成し遂げた琴奨菊を観て思ったことは、部屋の伝統というものは、不思議でもあり、面白くもあり、だなァ、でした。

というのも、琴奨菊の低い重心、全体的に「凸」の体形が、先代の佐渡ケ嶽親方(元横綱・琴桜)にそっくりだと感じたからです。

相撲の基本についてスポーツライターの工藤隆一氏(元日刊スポーツ記者)は自著「大相撲のなぜ? がわかる本~力士はなぜ四股を踏むのか」(日東書院・刊)でこう記述しています。

〈相撲はバランスの崩し合いです。バランスを崩されないようにするには重心を常に低く保つ〉

「凸」の体形とは-。

〈(四股を踏んだとき)特に上げた脚を地面に下ろしたときの動作は非常に重要で、肩幅より広めのスタンスを取り、上半身を前傾させずに腰をぐいっと下ろすのです。このときの体形は正面から見るとちょうど「凸」の字の形になります〉

先代師匠そっくりな「凸」の体形

そうした力士としての基本的な体形は、日々、四股を踏むことから始まる厳しい稽古の積み重ねによってつくられていくのでしょうが、一方、資質というものも、もちろんあるでしょう。それが、琴奨菊と先代の佐渡ケ嶽親方には、どこか似通ったものがあるなァ、と感じたのです。

スポニチ本紙に入社して2年目、私の記者人生は、大相撲担当からスタートしました。

古い話ですが、1970年(昭45)の初場所からです。

先代の佐渡ケ嶽親方は当時、大関・琴桜で北の富士、玉乃島、清国ら他の3大関と横綱昇進を競い合っていました。

土俵上では、重心の低い「凸」型の体形から、立ち合い一気の突き押しを持ち味として「猛牛」の異名を取っていましたが、土俵を降りれば、本当に人の良い性格で私たち駆け出しにも、聞けば何でも丁寧に答えてくれる優しい心の持ち主でした。

そのせいもあったのか、大関在位32場所という長期間でなかなか横綱にはなれず、1973年初場所後にやっと勝ち取った横綱昇進は、32歳2カ月という“遅咲き”でした。

当時の古ぼけた私の取材ノートには、日ごろ、そんな言葉を絶対に口にしない琴桜の〈大関で終わる大関でありたくなかった〉という“本音”がメモされています。

10年ぶりの日本出身力士の優勝を成し遂げた琴奨菊は一躍、国民的ヒーローとなりましたが、裏を返せば、日本人力士の不甲斐なさが根底にある記録です。

その意味では、これからが重く、琴奨菊の正念場は次からでしょう。

先代師匠の〈大関で終わる大関でありたくなかった〉を胸に、佐渡ケ嶽部谷伝統のぶちかまし、琴奨菊なら怒涛のがぶり寄りに磨きをかけて突っ走ってもらいたいものですね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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