“浪速のジョー”の永遠の「なぜ」③

〈前回②から続く〉

辰吉の意識は大きな変化を見せている。3年4カ月ぶりの復帰戦は、すでに前売り完売、当日券を残すのみという盛況ぶりだ。

相変わらずの辰吉人気だが、辰吉自身は「ファンに見せるものは何もない。ボクシング界を盛り上げようとか、ファンのためとか、そういうものはない。自分のためにやるんやから」と言う。

19歳4カ月でプロデビュー。連戦連勝の快進撃を続け、4戦目で日本王者、日本最速記録となる8戦目で世界王者に駆け上がったころの辰吉は「負けたら引退」の強気発言が物議を醸(かも)すなどプロ意識の塊のような男だった。

「ボクがプロなんちゅう言葉を使ったら失礼や。プロは勝ってお客さんを喜ばせるもんやろ。ボクは負けてお客さんを失望させるだけや。ボクにとってボクシングは職業なんかやない。趣味やね」

今、自嘲気味にこうまで言う辰吉は、周囲の反対を押し切ってやりたいことをやるためにどれだけもがいたのだろうか。友人には「なぜ自分の命を大切にしないのか」と言われ、涙を流して反対したという、るみ夫人を説得するため、辰吉は複数の病院で目を精密検査、異常がないことを証明して了解を取るに至っている。

復帰戦の先に見据えるのは、世界王座奪取しかない。1歳のときに両親が離婚。父親・粂二さんに育てられ、ボクシングも教わった。

「ボクシングは趣味やね」とまで言った・・・

その父は1999年1月に52歳で他界。弔い合戦となった同年8月のウィラポン戦に敗れた辰吉は、亡き父にベルトを見せられなかったという悔いを背負った。

吉井社長がつぶやいた。

「身を削る思いです。ホンマ、引退してくれるほうがうれしい。よそのジムの選手だったら思い切り応援するんやけどね」

辰吉が言った。

「どうせ独り善がりの人生や。自分が納得するまでやるまでや」

辰吉にとって父に教わったボクシングは、自分の存在そのものなのかもしれない。

    *   *   *   *

以上が、私がかつて書いた辰吉丈一郎の「辞めない『なぜ?』」を追い求めた記事です。

この後、辰吉は3年4カ月ぶりに臨んだ注目の復帰戦、2002年12月15日(大阪府立体育会館)のセーン・ソー・プルンチット(タイ)戦で7回TKO勝ちし、翌2003年9月の復帰第2戦でも判定勝ちを収めています。

2007年5月、辰吉は37歳となり、JBCが定めるプロボクサー・ライセンスの年齢制限に達しました。元日本王者、元世界王者は、その資格で特例の措置を受けられますが、辰吉には網膜剥離の既往症があり、国内では試合が出来ず、それでも試合を求めてタイに出向くなど、徹底して現役続行への姿勢を崩さず、今に至っています。

辰吉を取材した際、印象に残った言葉が「ボクのわがまま」「(ボクシングは)職業やない」「趣味やね」などでした。

辰吉にとって、ボクシングで戦うことこそが、アイデンティティーなのであり、だから自分が納得するまで辞められないのだろう、と私は受け止めていますが、2月27日に公開される映画「ジョーのあした~辰吉丈一郎との20年~」で阪本順治監督は、どんな辰吉をとらえてくれていることでしょうか。

〈この項終わり〉
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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