退路を断った覚悟に拍手!
「ここに骨を埋(うず)めようと・・・」-。
前週のUSLPGAツアー「ISPSハンダ女子オーストラリア・オープン」(2月21日最終日、オーストラリア・アデレード=グランジGC)で初優勝を飾った野村敏京(23=フリー)の、この言葉には、考えさせられるものが多くありました。
つまり「退路」-「逃げ道」といってもいいと思いますが、それを断つ覚悟について、です。
野村は、1992年(平4)11月25日、神奈川県横浜市に生まれ、5歳までその地で過ごし、その後、韓国に移住しています。父親が日本人、母親が韓国人。
高校3年時の2010年に米ツアーの最終予選会に臨み出場権を獲得。同年12月、日本国籍を選択。翌11年に米国でプロ転向。その後、米女子下部ツアーで優勝したり、日本ツアーの「中京テレビ・ブリヂストン・レディース」で優勝したり、とかなり、グローバルなツアー転戦をしています。
出場試合が限られながらも、11年、12年と米ツアーにチャレンジした野村でしたが、賞金シードに到達するまでにはいかず、米国からの撤退、日本ツアーへの参戦、など、自分が求める道の選択に悩みます。
が、最終的に選んだのが米国。「やはり米国でプレーするのが私の夢。ここに骨を埋めよう」と、不動の決断を下し、2014年から腰を据えて米ツアーに本格参戦します。プロ転向から3年目にようやく固めた強い覚悟でした。
退路を断つ覚悟というと、思い出すのが宮里美香(26=NTTぷらら)でしょうか。
「ここに骨を埋めようと・・・」
宮里は2009年から米ツアーに参戦していますが、プロ転向に際しては、日本のプロテストを回避して米ツアーの予選会を選択、最終予選会で上位(12位)を勝ち取り、出場権を獲得しています。
「やるからには世界で戦いたい。そこで勝ちたい」という、上を見据えた強い気持ちによるもので、そのために単身、米フロリダ州の「IMGアカデミー」に留学してゴルフ漬けの厳しい日々を送るなど、米国で戦う覚悟を行動で示してもいました。
宮里はアマチュア時代、沖縄・松島中3年在学時に「日本女子アマ選手権」を史上最年少の14歳8カ月で制覇している逸材ですが、日本でプロ経験のない女子選手の米ツアー参戦は前例がなく、話題となったものでした。
そんな精進を実らせたのが2012年、参戦4年目で果たした初優勝でした。同年のUSLPGAツアー「セーフウエー・クラシック」(米オレゴン州=パンプキンリッジCC)での悲願達成。このシーズンの宮里は、常に上位に絡む好調を続け、誰もが彼女の優勝を待ち望んでいたのは、やはり〈退路を断った覚悟〉を応援していたからだと思います。
野村の優勝は、奇しくも、その宮里の優勝以来、日本人女子4シーズンぶりのものとなりました。
米国女子ツアーは、今や世界中からトッププロたちが集まり、しのぎを削り合っています。そこで優勝を勝ち取ったり、トップ10へと進むことが出来たりするのは、この舞台に懸ける覚悟の大きさが左右すると思います。
母国のツアーでは生計が立てられず、一家で米国に移住してツアーに懸ける韓国人選手の、ハングリー的な強さは、それを象徴していますね。
昨今、日本人選手の米国志向は増えていますが、どこかひ弱さを感じるのは、やはり、退路を断ち切れないところにあるなァ、と思われて仕方がありません。
繁栄する日本ツアーを、米国で失敗したときに“戻ればいいや”と考えているなら、韓国人選手の貪欲なほどの気持ちにとても勝てるはずはありません。
前週のUSLPGAツアー「ISPSハンダ女子オーストラリア・オープン」(2月21日最終日、オーストラリア・アデレード=グランジGC)で初優勝を飾った野村敏京(23=フリー)の、この言葉には、考えさせられるものが多くありました。
つまり「退路」-「逃げ道」といってもいいと思いますが、それを断つ覚悟について、です。
野村は、1992年(平4)11月25日、神奈川県横浜市に生まれ、5歳までその地で過ごし、その後、韓国に移住しています。父親が日本人、母親が韓国人。
高校3年時の2010年に米ツアーの最終予選会に臨み出場権を獲得。同年12月、日本国籍を選択。翌11年に米国でプロ転向。その後、米女子下部ツアーで優勝したり、日本ツアーの「中京テレビ・ブリヂストン・レディース」で優勝したり、とかなり、グローバルなツアー転戦をしています。
出場試合が限られながらも、11年、12年と米ツアーにチャレンジした野村でしたが、賞金シードに到達するまでにはいかず、米国からの撤退、日本ツアーへの参戦、など、自分が求める道の選択に悩みます。
が、最終的に選んだのが米国。「やはり米国でプレーするのが私の夢。ここに骨を埋めよう」と、不動の決断を下し、2014年から腰を据えて米ツアーに本格参戦します。プロ転向から3年目にようやく固めた強い覚悟でした。
退路を断つ覚悟というと、思い出すのが宮里美香(26=NTTぷらら)でしょうか。
「ここに骨を埋めようと・・・」
宮里は2009年から米ツアーに参戦していますが、プロ転向に際しては、日本のプロテストを回避して米ツアーの予選会を選択、最終予選会で上位(12位)を勝ち取り、出場権を獲得しています。
「やるからには世界で戦いたい。そこで勝ちたい」という、上を見据えた強い気持ちによるもので、そのために単身、米フロリダ州の「IMGアカデミー」に留学してゴルフ漬けの厳しい日々を送るなど、米国で戦う覚悟を行動で示してもいました。
宮里はアマチュア時代、沖縄・松島中3年在学時に「日本女子アマ選手権」を史上最年少の14歳8カ月で制覇している逸材ですが、日本でプロ経験のない女子選手の米ツアー参戦は前例がなく、話題となったものでした。
そんな精進を実らせたのが2012年、参戦4年目で果たした初優勝でした。同年のUSLPGAツアー「セーフウエー・クラシック」(米オレゴン州=パンプキンリッジCC)での悲願達成。このシーズンの宮里は、常に上位に絡む好調を続け、誰もが彼女の優勝を待ち望んでいたのは、やはり〈退路を断った覚悟〉を応援していたからだと思います。
野村の優勝は、奇しくも、その宮里の優勝以来、日本人女子4シーズンぶりのものとなりました。
米国女子ツアーは、今や世界中からトッププロたちが集まり、しのぎを削り合っています。そこで優勝を勝ち取ったり、トップ10へと進むことが出来たりするのは、この舞台に懸ける覚悟の大きさが左右すると思います。
母国のツアーでは生計が立てられず、一家で米国に移住してツアーに懸ける韓国人選手の、ハングリー的な強さは、それを象徴していますね。
昨今、日本人選手の米国志向は増えていますが、どこかひ弱さを感じるのは、やはり、退路を断ち切れないところにあるなァ、と思われて仕方がありません。
繁栄する日本ツアーを、米国で失敗したときに“戻ればいいや”と考えているなら、韓国人選手の貪欲なほどの気持ちにとても勝てるはずはありません。
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