「霊長類最強女子」が敗れた衝撃

吉田が負けた!

取材に当たっている記者たちは、多岐にわたる豊富な経験を持ちながらも、改めて“絶対はない”を痛感しつつ、想定外だった敗因の追及など、大忙しの一日を送ったことでしょう。

リオ五輪第14日の8月18日(日本時間同19日早朝)、レスリング女子53キロ級決勝で敗れ、五輪4連覇を逸した吉田沙保里(33=フリー)です。

試合を中継するテレビの画面の中で吉田は、勝負が決まった瞬間、マットに突っ伏して動けず、やっとマットを降りた後、聞くほうもつらかったろうインタビューに声を詰まらせ、涙を流しながら応じました。

取り返しのつかないことをしてしまった」「ごめんなさい」・・・その後、家族のいるスタンドに向かい「お父さんに怒られる」と抱き合って号泣! 言葉の一つ一つに吉田が背負ってきたものの重さがにじみ出てこちらも胸が詰まる思いでした。

吉田の個人戦での敗北は、2001年の全日本選手権(56キロ級)決勝で山本聖子(当時日大)に敗れて以来のことです。

その山本が以前、この日吉田を破ったヘレン・マルーリス(米国)を指導していたこともある、と報じられ、この世界、点と点が突然、線で結ばれる不思議を感じますね。

が、敗戦=号泣で印象深かったのは、08年1月19日の悪夢、中国・太原で開催された国別対抗戦「女子W杯(団体戦)」(日本は3位)での敗北だったでしょうか。

“その後”は自分自身で決めるしかない

1次リーグ第2試合で無名のマルシー・バンデュセン(米国)と対戦。吉田は攻めまくりながら、バンデュセンのタックル返しに微妙なポイントを奪われて敗れました。続けていた連勝が「119」でストップ。

吉田の得意技“伝家の宝刀”のタックルは、レスリングを始めた3歳時から元全日本覇者の父・栄勝氏(14年3月に逝去)に伝授されたものです。

連勝街道を支えていた魂のタックルを返されて敗れた悔しさ、と同時に世界中の刺客から研究され尽くされての戦いという厳しさ、それは大会を終えて帰国した成田空港でもまた、泣き崩れた吉田の姿に表されました。

その後、12年5月の女子W杯でもロシアのワレリア・ジョロボワに敗れましたから、団体戦はやはり、個人戦での集中力と比較して希薄になるのかもしれません。

では・・・敗れた後の吉田の心理状態は、常勝だけにどんなものだったでしょうか。

08年1月のW杯で敗れた後、吉田は当初、出場を予定していた3月開催の「アジア選手権」(韓国・済州島)を回避する方向にいました。が、この年は北京五輪イヤーにあり、五輪のために勇気を持って“重い一歩”を進める決断をしています。

吉田はこの大会で優勝を飾るのですが、取材に当たったスポニチ本紙の担当記者は、吉田の極度の緊張状態と大会中まで続いた神経性胃炎や発熱を報じています。彼の帰国後の後日談では「1、2回戦の段階では、腰が引けてタックルに行ける距離が取れずにいましたね」と明かしてくれました。

敗戦、号泣、逡(しゅん)巡・・・再起への決意、復活-。

銀メダルだって立派なものだ。「ごめんなさい」なんて・・・。誰もそんなふうには見ていません!

が、それは、あくまで周りの声です。周りがどんなに慰めようと励まそうと、事実を受け止め、決断を下すのは自分自身、それが格闘家なんですね。

スポニチ本紙の担当記者は、その日、リオでこう書きました。

〈一時代の終わり。吉田が最強の女王として君臨した時代が終わった〉

とー。

4年後に待つ2020年東京五輪。そのマットに吉田が立っているかどうか。それは吉田が決めることですね。
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プロフィール

佐藤 彰雄

Author:佐藤 彰雄
◆生年月日 
1944年(昭19)8月生まれ
◆出身 
神奈川県
◆プロフィール
スポーツニッポン新聞社在職中は運動部記者として大相撲、野球、ゴルフ、ボクシング、格闘技などを幅広く取材・執筆。
現在はフリーの立場でボクシングを中心に取材活動を続けている。
ゴルフのマスターズなど海外取材経験も豊富。

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